アセクシュアルに質問
ー目次ー
1:アセクシュアルとはそもそも何か
唐突なカミングアウトだが、僕はアセクシュアルだ。
アセクシュアルとは、性的欲求と他人に抱かない人のことである。
類似概念にアロマンティックというものがあり、そちらは恋愛感情を他人に抱かない人のことを指す。
両者は混同されがちだがちゃんと使い分けがされている。
日本ではアセクシュアル=性的欲求も恋愛感情も抱かない人という定義が一般的なようで、アセクシュアル・ロマンティックの人のことはノンセクシュアルと呼ばれている。
海外基準と日本基準があるというのは寿司とカルフォルニアロールのような感じがして興味深いが、一応海外の当事者と話すときは一応どういう定義を採用しているのか位は聞いたほうが良いのかもしれない。
前置きが長くなったので本題に入ろう。
今日は「Aセクシャルに55の質問」というものをやっていこうと思う。
質問コーナーみたいなものだ。
質問は下記のサイトを引用させて頂いた。
2:質問への回答
1.HNを教えてください。
A:木築
2.自分がAセクシャルだと気づいたのはいつですか?
A:16歳
3.いつ・どこでAセクシャルという言葉を知りましたか?
A:18歳の時にネットでなんかのサイトを見た。
4.あなたは未婚ですか?既婚ですか?
A:未婚
5.性自認は何ですか?
A:ノンバイナリー
6.恋愛感情はありますか?
A:ない
7.好意をもつ対象は同性ですか?異性ですか?
A:関係なし
8.恋愛経験はありますか?
A:ある
9.恋愛することに対して嫌悪感はありますか?
A:ない
10.Aセクシャルであることが原因で恋人と別れた事がありますか?
A:ない
11.現在、恋人が居ますか?
A:いる
12.恋人は必要ですか?
A:どちらでも
13.恋人とのスキンシップ、どこまでなら許せますか?
A:性的なものが絡まない範囲まで
14.友達とのスキンシップ、どこまでなら許せますか?
A:上記と同様
15.他人との接触は、どこまでなら許せますか?
A:触れるな
16.一次接触が原因のトラウマを持っていますか?
A:
17.性欲を感じる事はありますか?
A:ない
18.自慰をすることはありますか?
A:ない
19.性交の経験はありますか?
A:ない
20.性欲について嫌悪感を持っていますか?
A:ある
21.結婚をする気はありますか?(ありましたか?)
A:昔はあった
22.家族・親族から結婚を勧められた事はありますか?
A:ない
23.その時、どのように答えましたか?
(ないので省略)
24.こういう人となら一緒に暮らしてもいいと思える人はどんな人ですか?
A:希望を押し付けたり、強引に叶えようとしない人
25.自分の子供が欲しいと思いますか?
A:思わない
26.ドラマティックで激しい恋愛をしたいと思いますか?
A:思わない
27.性行為を楽しむことができたら…と思った事はありますか?
A:ない
28.貴方の恋愛に対するイメージを教えてください。
A:社会に対する承認欲求をかけた世間体スタンプラリー
29.貴方の性行為に対するイメージを教えてください。
A:
30.誰かに恋の告白をされたらどうしますか?
A:断る
31.普段、一人称は何を用いていますか?
A:CO後は僕、CO前は自分、気が抜けると俺
32.また、二人称は何を用いていますか?
A:あなた
33.いつもどんな服装をしているか教えてください。
A:ユニセックス
34.今はどんな髪型をしていますか?
A:黒髪一束?
35.自分の肉体に違和感を感じますか?
A:感じる
36.自分の身体的性別に違和感を感じますか?
A:感じる
37.自分の社会的性別に違和感を感じますか?
A:感じる
38.肉親や友達にカムアウトはしていますか?
A:肉親にはしていない。友人には軽く
39.Aセクシャルについて他人に言われた痛い一言を教えてください。
A:お前いつまで生娘でいるつもりだ
40.Aセクシャルの事でカウンセリングを受けたことがありますか?
A:ない
41.正直、自分に嫉妬心はあると思いますか?
A:もうない
42.他人と関わるのがなんとなく苦手だと思いますか?
A:思う
43.貴方にとって他人と関わる上で居心地の良い関係とはどういうものですか?
A:対話が可能で押し付けのない関係
44.同性に嫌悪感を感じたことがありますか?
A:ある
45.異性に嫌悪感を感じたことがありますか?
A:ある
46.もし会話中に恋話を振られたらどうしますか?
A:特に何も
47.もし、会話中にシモネタを振られたらどうしますか?
A:苦笑いで誤魔化す
48.Aセクシャルであるが故の悩みを教えてください。
A:大人になるにつれてどんどん生きにくくなっていくこと
49.Aセクシャルであるが故の幸せを教えてください。
A:面倒ごとに巻き込まれない
50.Aセクシャルにまつわる大切な思い出を一つ教えてください。
A:パートナーへのCO
51.恋愛至上主義的な今の世の中についてどう思いますか?
A:社会からの承認を求める欲が強いなぁとしか。
52.Aセクシャルに生まれて不幸であると思いますか?
A:思う
53.異性愛者の方へ一言おねがいします。
A:ヘテロ結婚至上主義は押し付けないで下さい。
54.同性愛者の方へ一言おねがいします。
A:まぁ、頑張って。
55.Aセクシャルの皆さんへメッセージをどうぞ。
大人になるにつれて段々と生きにくくなっていきます。
表立って言われていなくても、そうしなければならないという空気感を感じることはあるでしょう。それに従おうと頑張ろうとする時期もあるかと思います。
人生とは面白いものでそういう時の頑張りは大体上手くいきません。
どうか宗教に負けないで。自分を大切に。
天気雨と小窓
このブログは「天気雨と小窓」という一見意味のわからない名前である。
名前は10分もかからずに決めたが、それなりに意味のあるものだ。
ここでいう天気雨とは、僕がなんでも中途半端な経歴であることを意味している。
何か秀でているわけでもない、中退2回で履歴書はボロボロ、割り振られた“女性“の役割も果たせず、性表現もどっちつかず。
まさに晴れなのに雨が降っている天気雨だ。
天気雨はかなり幻想的だけど、僕は幻想的のげの字もないから天気雨に失礼かもしれない。
小窓は事象を観察することだ。
大きな窓のような、それこそ論文やレポートみたいな本格的なことはこのブログではするつもりはない。
ただ、日々起こった出来事を思うままに書くだけ。
だから小窓。
この二つを合わせて天気雨と小窓。
語呂が良いから気に入っている。
くっだらない本とアセクシュアル
くっだらない本
一時話題になった『すべての男がSEX以外に考えていること』という本がある。
もう随分前の話だ。多分僕が中学生とか小学生とかそれぐらいの頃だったと思う。
まぁとうの僕は読んだことはない。
しかし、僕のパートナーはこの本の結末を知っていた。
僕は高校生の時に彼からこの本が全て白紙であることを聞かされた記憶がある。
そう、全てが白紙=“全ての男はSEX以外に何も考えていない“ とこの本は主張したかったようだ。
ちなみに対の本として『すべての女がお金以外に考えていること』という本もある。
きっと今であればミソジニーだとフェミニストたちが「ジョセイベッシダ!!」とお怒りだっただろう。
当時だから出来た芸当であると言えるのかもしれない。
当時はきっと皮肉も楽しめるくらい寛容な良い時代だったのだろう。
とあるポスト
余談がかなり長くなった。
なぜ僕がこのくだらない本のことを思い出したのかというと、TLに下記のポストが流れてきたからである。
アセクシャルな女性はそれを公言しない方がいい
なぜなら男は少なからず性欲で動いているため、知ったら「この子には投資してもしょうがない」と判断し、支援しなくなる
女の生きやすさというのは、どれだけ男が手伝ってくれるか等の支援にかかっているので、他の女性より不利になる
https://x.com/sakurai7750/status/1705806982735904847?s=61
なんともまぁまさにあの本の言う通りの人がいるものだと思ったものだ。
なるほど、ワンチャンないと助けもしないという道徳心を会得しなかった人も世の中にはいるのだな。
ただそういう人は
👩「アセクシュアルです」
👨「はい。そうですか」
と引き下がってくれるほどお行儀が良いわけではないことくらい僕にだってわかっている。
こちらがなんと言おうと何かにつけて迫ってくる人は迫ってくることを認識できないほど馬鹿ではない。
本件ポストは行為に及べと言うのではなく、人参ぶら下げて(ワンチャン仄めかして)転がして利用しろということなのだろう。
ただ、そういう下心がある人を利用したところで性被害に遭う可能性は高くなるだけだ。
関わらないようにするのが得策であることは間違いない。
それに、そういう下心しかない人ばかりではないと僕は信じたいのでこの忠告は聞き入れないことにしよう。
アセクシュアルは不利になるか
一方でアセクシュアルが他の女性より不利になるというのはあながち間違いではない。
それは先述の道徳心を会得しなかった人間との関わりのことを言うのではない。
単純にヘテロ結婚至上主義の社会においてアセクシュアルを公言することは人格否定や怒られ(「ちゃんと女性としてしっかりしなさい」等々)が発生する機会を呼び起こすことでもある。
また、人間関係の形成には“どれだけ相手に共感できるか(話が合うか)“という共感力が大きな影響を持っているため、アセクシュアルの人間は共感されにくく、人間関係の形成が難しい場合もあり得るだろう。
そういう意味でいけば、アセクシュアルを無闇矢鱈に公表するのは得策ではない場合もあり得るというのは事実であると認めざるを得ない。
他責思考と自己責任
ついこの間まで「他責思考」という言葉をよく目にした。
「他責思考」とは端的に言えば“なんでも他人のせいにする思考傾向があること“を指す。
例えば「恵まれないのは親のせい」とか「苦しいのは社会のせい」とかそういった自分が抱えている問題を誰かの責任にしようとして自分をあたかも完全な被害者かのように考えることだろう。
勿論この「他責思考」は非難されている。自己責任が大好きな日本では嫌われる思考だろうなとは誰しもが予測できることだと思う。
そもそも自己責任論と他責思考批判はほぼ双子のようなものである。いや多分ほぼ同一人物である。自己責任は自分で自分の選択や状況に責任を持つことであり、他責思考批判は他者に責任を追求することを否定すること(反対的に自己の様々な要因を自己の責任とすることを強要する)と考えるとやっぱり両者は表現が違うだけで本質的には変わらない気がする。とすると日本人が他責思考を嫌うのは一層納得がいくよなと一人で勝手に納得したりする。
一方で行き過ぎた他責思考批判は正確な帰責先の特定を困難にする。
特に「〇〇は社会のせいだ」という意見には、時として政策の改善点を与えてくれる。
本当に社会が何か作為をしていれば、彼(彼女)はそうならなかったという可能性も少なくはない。
虐待による死亡、毒親による子の精神疾患発病は良い例と言える。
故にその事象の原因を追求し、責任の貴族先を明確にすることは公益にも繋がる。
また、公益だけでなく当人の利益にもなりうる。
本当に本人に責任を帰属させるべきこととそうではない単なる被害者であることを分類することによって、治療すべき事項を明確にすることは当人の社会復帰や抱える問題の解決を可能にし、かつそのためにかかる時間を短縮できることも考えられる。
一見毒にしか見えなくても薬になることはあり得ると思う。
全ては使い方の問題であって、他責思考そのものは悪くないのではないか。
簡潔に言えば、何でもかんでも他人のせいにするなと言うのは違うのではないかなということである。